『ポケモンGO』-沖縄のポケストップ8-【第4章】~異世界への門~
ブログ53日目です
色々なことが色々ありまして、本日は大変ご無沙汰となる沖縄のポケストップ記事掲載となります。_(;^ω^ )_
そしてご無沙汰ということで前回の【円覚寺跡】に引き続き、今回も首里城 正殿近くの史跡に注目してみたいと思いますが、とにもかくにもまずは一度地図上にて確認からここに再開と参りたいと思います。_(;^ω^ )_
前回の感慨深い『残響』【円覚寺跡】から見て、比較的近い (D) が本日のポイントです。
それでは気を新たに -沖縄のポケストップ8-【第4章】~異世界への門~ ここから再開です。(^_^)/
円覚寺を後にして、早速次なる目的のポイントが見えてきました。こちらご存知の "あの門" となります。
しかし今回の記事の対象はその知名度が知名度だけに半端な事はできないと、それなりの重圧も感じるわけでありまして・・・、 (;・∀・)
そのため本日はこれまで以上に気を引き締めて挑んでみたいと思います。( ・`д・´)
さあ、こちらです!( ・`д・´) /
今回のこの史跡は、その名も【園比屋武御嶽 石門】といいます。
そして、もちろんわかっております!この名称の読み方が難しいというご意見、あるかと思います。こちら「そのひゃんうたき いしもん」という読みです。
・・・・・・・・・・・・・えっ、違いますか?( ・`д・´)?
・・・読みの方じゃなくて、その対象が・・・?( ・`д・´)?
「え~、本日の記事は一応こちらの予定なのですが・・・(  ̄▽ ̄) / 」
「いや、紛らわしいわっ(-_-;)/\(+_+;)/」
はい、という事で気を引き締めていくと言ってるそばからいきなりフザけてしまいましたが、_(;^ω^)_
ただここで「期待の【守礼門】じゃなくて残念!」と思わた方、少々お待ちください!
知名度こそ差はあるものの、今回のこの史跡はその歴史的価値や存在意義などから琉球王国時代には大変重要な役割を果たし、そして極めて貴重な歴史遺産として現代に残る文化財なのです。
言ってみれば「知る人ぞ知る」史跡となります。そして記事をご覧いただいているそこのあなたも本日より「ようこそ、知る人側へ」ということで、それでは改めまして今回の史跡、そしてそのポケストップの紹介に入ります。(^_^) /
改めましてこちら【園比屋武御嶽 石門】です。そしてその読みは「そのひゃんうたき いしもん」です。 少し舌を噛みそうな変わった名称です。(´・∀・` )
ちなみにここで『御嶽』について初めての方は、こちらの記事で大まかな説明を行っていますので、そちらから先に確認されることを推奨です。(^_^)
それでは早速【園比屋武御嶽 石門】に迫って行きます。そしてその始まりは、まずこちらです。(^_^) /
デーン!とこちら、文字通り世界に誇る遺産となります。(´・∀・` )
もちろん『世界遺産』が価値のすべてではありませんが、やはりこの石碑は存在感が違います。
こちらは石門の隣に設けられた説明書きです。
そして今回の記事の最初の紹介では "現代に残る歴史遺産" と紹介しましたが、こちらの説明よると実は先の大戦で一度は失われ、その後の修復から現代によみがえった復元遺産のようです。
ちなみにすでに紹介しました『守礼門』はこの世界遺産には登録されておりません。このようにそれぞれが復元の文化財にも関わらず、扱いが違うことについては事情は様々あるはずですが、この【園比屋武御嶽 石門】がいかに当時の技術そのままに忠実に再現、復元を果たしたのかを体現しているのかと思います。
そして肝心の御嶽については、こちらの石門の "裏側の森" がそれに当たります。ではその裏側の森はどうなっているのか。もちろん調べて参りました。(^ω^)
向こう側からも確認してみます。へ( ^ω^)ノ
夢中で撮影を続けているところへ、偶然にも状況の変化が訪れます。
「・・・・・あっ、光が・・・・・・。(・o・ ) 」
「・・・・・・・・・・。(・o・;) 」
撮影の最中、偶然にも後光が射し神聖な空間が更に荘厳に映ります。
そしてその本命の御嶽 "裏側の森" については、実は現在その敷地には小学校が建立されていて、残念ながらほんの一部しか残っていないのが現状です。
つまりこの石門はあくまでも御嶽の前に構える門でしかありませんが、今はそのほとんどが失われてしまった森に代わって、琉球王国時代当時の〖国家の聖地〗を現代に伝える象徴たる存在になります。
ちなみに事後説明になりますが、こちらの【園比屋武御嶽】は王国時代は国王の出門の際の安全祈願を行ったり、更には最高女神官〈聞得大君〉就任の際に始めに訪れる〖聖地〗たる場所であったとも伝えられています。
そして記事の最後は前回に引き続き、資料センターから模型による王国時代当時の【園比屋武御嶽】の姿をお届けです。
赤く記したゾーンが当時の【園比屋武御嶽】になります。やはり記録の通り、今はない広域に広がる森が確認できます。そこは聖域として神々を祈り崇める特別な領域だったことはすでに記事にて説明の通りです。(^_^)
ということで本日の記事は、そろそろこの辺りまでとしたいと思います。しかし今回は長らく記事の進行を止めていただけに、先送りにしたらしただけ回収することに苦労することを痛感する一件となりました。(;^ω^)
そして合わせて記事の文面でついに〈聞得大君〉(きこえおおきみ) の名が出てきました。こちら琉球王国時代の政治・宗教的に極めて重要な役割を担った俗称の "お役目" の人物になります。
ただその詳細については今後の同シリーズにてということで、それでは本日の記事 -沖縄のポケストップ8- ~異世界への門~ ここまでとなります。_(._.)_
またこれまでの遅れを取り戻すつもりで、次回の記事もなるべく早めの掲載を予定しています。どうぞご期待下さいませ。_(;^ω^)_