『ポケモンGO』-沖縄のポケストップ8-【第3章】~残響~
ブログ52日目です
本日の記事は前回に引き続き -沖縄のポケストップ8- の【第3章】となります。(^_^)
ただ ~オシャレ~シリーズ記事 も間に1つはさみ、前回から少し期間が空いてしまったので一旦地図上にてまずは状況確認から始めたいと思います。
前回の記事の【美連嶽】も加え地図の下の辺りが賑やかになってきました。(^_^)
そして今後は上の方も計画中にてご期待下さいとお伝えつつ、本日の目的地は (C) です。 一気に首里城本殿近くに迫ったその場所にて -沖縄のポケストップ8-【第3章】それではそろそろ開始です。(^O^)/
こちらすでにお伝えしている通り、地図上の (C) の地点です。今シリーズ『首里城公園』のプロローグにて一度通った園路となります。
ちなみにその際には右手側 (弁財天堂) に注目しましたが、今回は左手側、ご注目下さい。(^_^)
本日の対象こちらです。(´・∀・`)
史跡【円覚寺跡】はっきりご確認できると思います。
・・・それでは本日は勿体ぶらずに、一気に行ってみましょう。( ^O^)つ
今回は取材のタイミングを、特に時間帯を見計らい続けた結果なかなかのシーンが撮れたと思います。(^ω^)
日差しと木々と拝殿の色合いの調和が美しく取れているように見えます。
そしてこちらの【円覚寺】も前回の【美連嶽】同様、実はほとんど知らない史跡となりますが散歩で首里城公園に訪れた際にはこちらは必ず横切る通りなのでかなり見慣れた風景と言えます。
ただ今回はせっかくなので更に寄って、より多くのこの【円覚寺】の表情を残したいと思います。
こちらが拝殿となります。(´・∀・` )
個人的には今回のこの対象は「寺院」と言うよりも「お堂」に近い印象です。
それでは夢中で撮り続けたため写真はやや有象無象な並びとなりましたが、とりあえず円覚寺の姿・形は収めましたので、少し早いですが記事の最後はその歴史を探りつつ締めくくりとしたいと思います。(^_^)
ご丁寧にも今回も説明書きがありますので、そちらにて確認です。(^ω^)
こちらによると、この円覚寺は琉球王国時代に王家の菩提寺の役割を果たしており、当時は "鎌倉の円覚寺" をモチーフに建立されたとの事です。
なるほど、【円覚寺】という名は見本に習って名付けられた名前のようです。(^_^)
え~そして、その寺院については詳細は・・・・、
「・・・・・・・・・ ( ^ _ ^ ) 」
「・・・・・・・・・ (・_・ ) 」
・・・・・・寺域3,560㎡・・?
・・・・・大戦でほとんど・・?
「・・・・・・・・・・・・・・・・ (・_・ ) ? 」
・・・・・もしかすると私は大変な思い違いをしていたのかもしれません。(・_・; )
「・・・・・・・・・・ へ( ;・_・)ノ」
「・・・・・・・・、ここが? ここが円覚寺 !? (;゚Д゚) 」
・・・・・お恥ずかしい話ですが実は何度も門の前は通れど門の裏側、ここまで来たのは初めてなのです。(・_・;)
そうです。先ほど一度 "拝殿" とお伝えした場所は実際は「寺院の正門」だったようです。
・・・・ここに来て説明書きの案内から初めて知る事になりました。(・_・;)
・・・確かに「跡」という形式なのでやや違和感はありましたが、私はてっきり園路の目の前の建物が復元された【円覚寺】なのだとこれまで思っていました。(-_-;)
寺域[約3,500㎡]というのはかなり広域となる寺院のはずです。
それだけのものがまさか遥か昔この場所に・・・・・、
「・・・・・・どうして今まで、気付かなかったのか・・・・ (-_-;) 」
という事は、この池と橋も円覚寺のほんの僅かの一部でしか無いのでしょう。
それだけ広大で壮麗な寺院が、かつてはこの場所にあったという事になります。 (・_・;)
正門から反対側の高台より "ふかん" にてとりあえず全体を捉えます。
写真中央に見える門の一部が先ほどまで居た円覚寺の正門で、画面右上の建造物は現在の「沖縄芸術大学」の校舎となります。
当時の円覚寺の広さから考えると、沖縄戦にて焼失した一部の跡地に大学が建設されたようです。
・・・・確かにこの辺り一帯には以前から不自然なほど無造作な原っぱが多いとは感じていました。ただまさかこの一帯、そして現在の大学に敷地に及ぶこの広大な範囲が円覚寺の境内だったとは (・_・;)
・・・・・・今のこの瞬間だけ不思議と時間が止まっているように感じます。(-_- )
状況を整理しつつも不確かなものが溢れる中で、私は一度少し離れた【首里杜館】内にある[情報センター]へ向かいました。へ( ;・_・)ノ
首里城公園内・近辺の様々な史跡、文化財の説明パネルが展示されています。(・o・;)
ありました。(・_・;)
・・・・・ただ書かれている事は【円覚寺】正門前にあった説明書きとほぼ同じ内容のようです。
「これは・・・・・・・・( ;・o・) 」
琉球王国時代の王都を描いた油絵のようです。当時の栄華を写したような眩い描写が極めて印象的な作品です。
そしてこちらは『王都首里町並復元模型』(1:1000)スケール
ようやく手がかりを見つけました。( ;・∀・)
首里城とその周辺の城下町、そして今回探し求めたかつての【円覚寺】の姿の一端をようやくここで捉えました。(´・∀・`; )
赤く記したゾーンが当時の【円覚寺】です。やはり広い境内と複数の建物が確認できます。
そしてこちらはあくまでも当時を再現した模型に過ぎませんが、とりあえず1つの目的地にやっと辿り着いたような感慨です。(^_^;)
そして一通りの資料と情報をたずさえ、私はまた "その場所" へ戻ります。へ( ;・_・)ノ
不思議と様々なものを見て知った前と後とでは、同じ光景も違うシーンのように映ります。本日はたくさんの写真を収めましたが、この1枚が一番のお気に入りです。(^_^)
揺れる木々とその間を抜ける風。
そして隙間から差し込む光に照らされ、まるで当時の瑞々しさを取り戻すようです。
今の私の表現しようのない寂しさも、この風景の前に妙に晴れています。(^_^)
これは「郷愁」というものでしょうか。
きっと当時からこのような光景にて寺院に訪れる多くの人々を温かく迎えていたのでしょう。
そして【円覚寺】については戦争で焼失してしまった事は非常に残念ですが、それは歴史の1つにて仕方の無い事と思います。
また同様に先日の火災にて焼失してしまった首里城本殿とは異なり "未だ復元に至っていない史跡" が数ある事に復元の過酷さと果てしない道のりを知る事になりました。やはり言葉で「復元」と言っても様々な問題が付きまとうものなのでしょう。
そして当の私はというと・・・・・・、また継続して「ご理解を深めるための発信を」と言ったところでしょうか。(^ω^)
では、かなりの量と長さになってしまいましたが、今回の記事 -沖縄のポケストップ8-この辺りまでとしたいと思います。そして数々のご支持の下、何とか最後まで到達できた事合わせてここに感謝お伝えしたいと思います。_(^_^)_
それでは本日の記事 -沖縄のポケストップ8-【第3章】~残響~ ここまでとなります。_(._.)_