『ポケモンGO』-沖縄のポケストップ8-【第5章】~面影~
ブログ54日目です
前回の記事にて次回の早めの掲載を予告しましたので、本日はそれを通しての掲載としたいと思います。
と言ってもそれほど早めの掲載とはなりませんでしたが、ただ沖縄のポケストップ「首里城公園シリーズ」もここまで続けてきましたので、本日は一旦休息の中休みのつもりで久しぶりの "シーサーポケストップ" 行ってみたいと思います。(^O^)
もちろん首里城公園シリーズ中なので、その地域に居座る一風変わったシーサーをご紹介です。それでは本日も地図上でその位置の確認から入りたいと思います。(* ̄0 ̄)/
前回の【園比屋武御嶽 石門】からやや離れた地図上右下の (E) が本日のポイントです。
ただ実際には写真から見切れる更に地図上の下方向に位置していますが、とりあえず今回はその辺りにあるとご理解下さい。(;^ω^)
さあ、それでは早速現場からお届けします。こちらです。( ^ω^)つ
こちら目的のポイントから車道を挟んだ位置になります。そしてあちらのマンションの入り口に目当てのシーサーが座っています。
まだ少し遠いですが、入口にしっかり2体座っています。そしてここでそのマンションの名前にご注目です。
『SUN SHINE 山川』の文字、ご確認できると思います。
そうです。ということでこの場所は・・・・・
本日は首里の山川町からこちらのシーサーをお届けします。(^_^)
ただ現在この首里の地域には沢山のシーサーとそのポケストップが存在するわけですが、その中で今回あえてこのシーサーを選んだことには実は理由があります。
そしてその理由についてですが・・・・・・・、とりあえずこのシーサーを紹介しながらでもお話したいと思います。(^ω^)
近くから見ると結構な迫力を感じます。(^ω^)
そしてこのシーサーの特徴的な箇所は、何と言ってもその大きな鼻と豪快に開けた大きな口です。
「・・・・おや?(・o・ ) 」
「・・・・・そういえばこの顔、どこかで見たことがあるような・・・・(・_・ ) 」
・・・・・と言いつつも実はその心当たりははっきりしていまして、本日このシーサーを紹介したかった理由もそこにあります。
そしてこのシーサーから奇妙にも面影を感じる "ある人物" については、ここですぐにお伝えすることもできますが、本日はあえてぼかしながら進めたいと思います。(^ω^)
ちなみにヒントは "この場所" この地域の名称に関するものとなります。
・・・・そう確かこの場所は、首里の山川町だったはずです。(^ω^)
このどっしりとした体格と顔つき、そしてこの豊かな表情、更にはこの場所 首里の山川町と、初めてこのシーサーを目にした時から私にはピンとくるものがありました。(^ω^)
しかしながら、これらもただの思い違いだとなかなか寒いものがありますが、そろそろお気づきになった読者の方もおられると思います。
・・・・ほら、こう遠くを見据えて、今にも豪快に球を飛ばすような・・・・
「・・・・・・・・・ドスコーイ!!/( ・`д・´)/」
はい、ということで本日の記事 -沖縄のポケストップ8- 史跡・文化財などとはほとんど関係ありませんが、比較的 首里城公園から近く、ある意味近年の沖縄を象徴するようなシーサー(人物)ということで本日は中休みも兼ねての紹介となりました。
そして恐らく最後の最後までお気づきにならない読者の方もおられるでしょうが、沖縄県出身の著名人を思い描くとその答えにより近づくと思われます。(^ω^)
それでは本日の記事、シーサーシリーズもかねた -沖縄のポケストップ8-【第6章】~面影~ ここまでとなります。_(._.)_
「ドスコーイ!!!/( ・`д・´)/」
『ポケモンGO』-沖縄のポケストップ8-【第4章】~異世界への門~
ブログ53日目です
色々なことが色々ありまして、本日は大変ご無沙汰となる沖縄のポケストップ記事掲載となります。_(;^ω^ )_
そしてご無沙汰ということで前回の【円覚寺跡】に引き続き、今回も首里城 正殿近くの史跡に注目してみたいと思いますが、とにもかくにもまずは一度地図上にて確認からここに再開と参りたいと思います。_(;^ω^ )_
前回の感慨深い『残響』【円覚寺跡】から見て、比較的近い (D) が本日のポイントです。
それでは気を新たに -沖縄のポケストップ8-【第4章】~異世界への門~ ここから再開です。(^_^)/
円覚寺を後にして、早速次なる目的のポイントが見えてきました。こちらご存知の "あの門" となります。
しかし今回の記事の対象はその知名度が知名度だけに半端な事はできないと、それなりの重圧も感じるわけでありまして・・・、 (;・∀・)
そのため本日はこれまで以上に気を引き締めて挑んでみたいと思います。( ・`д・´)
さあ、こちらです!( ・`д・´) /
今回のこの史跡は、その名も【園比屋武御嶽 石門】といいます。
そして、もちろんわかっております!この名称の読み方が難しいというご意見、あるかと思います。こちら「そのひゃんうたき いしもん」という読みです。
・・・・・・・・・・・・・えっ、違いますか?( ・`д・´)?
・・・読みの方じゃなくて、その対象が・・・?( ・`д・´)?
「え~、本日の記事は一応こちらの予定なのですが・・・(  ̄▽ ̄) / 」
「いや、紛らわしいわっ(-_-;)/\(+_+;)/」
はい、という事で気を引き締めていくと言ってるそばからいきなりフザけてしまいましたが、_(;^ω^)_
ただここで「期待の【守礼門】じゃなくて残念!」と思わた方、少々お待ちください!
知名度こそ差はあるものの、今回のこの史跡はその歴史的価値や存在意義などから琉球王国時代には大変重要な役割を果たし、そして極めて貴重な歴史遺産として現代に残る文化財なのです。
言ってみれば「知る人ぞ知る」史跡となります。そして記事をご覧いただいているそこのあなたも本日より「ようこそ、知る人側へ」ということで、それでは改めまして今回の史跡、そしてそのポケストップの紹介に入ります。(^_^) /
改めましてこちら【園比屋武御嶽 石門】です。そしてその読みは「そのひゃんうたき いしもん」です。 少し舌を噛みそうな変わった名称です。(´・∀・` )
ちなみにここで『御嶽』について初めての方は、こちらの記事で大まかな説明を行っていますので、そちらから先に確認されることを推奨です。(^_^)
それでは早速【園比屋武御嶽 石門】に迫って行きます。そしてその始まりは、まずこちらです。(^_^) /
デーン!とこちら、文字通り世界に誇る遺産となります。(´・∀・` )
もちろん『世界遺産』が価値のすべてではありませんが、やはりこの石碑は存在感が違います。
こちらは石門の隣に設けられた説明書きです。
そして今回の記事の最初の紹介では "現代に残る歴史遺産" と紹介しましたが、こちらの説明よると実は先の大戦で一度は失われ、その後の修復から現代によみがえった復元遺産のようです。
ちなみにすでに紹介しました『守礼門』はこの世界遺産には登録されておりません。このようにそれぞれが復元の文化財にも関わらず、扱いが違うことについては事情は様々あるはずですが、この【園比屋武御嶽 石門】がいかに当時の技術そのままに忠実に再現、復元を果たしたのかを体現しているのかと思います。
そして肝心の御嶽については、こちらの石門の "裏側の森" がそれに当たります。ではその裏側の森はどうなっているのか。もちろん調べて参りました。(^ω^)
向こう側からも確認してみます。へ( ^ω^)ノ
夢中で撮影を続けているところへ、偶然にも状況の変化が訪れます。
「・・・・・あっ、光が・・・・・・。(・o・ ) 」
「・・・・・・・・・・。(・o・;) 」
撮影の最中、偶然にも後光が射し神聖な空間が更に荘厳に映ります。
そしてその本命の御嶽 "裏側の森" については、実は現在その敷地には小学校が建立されていて、残念ながらほんの一部しか残っていないのが現状です。
つまりこの石門はあくまでも御嶽の前に構える門でしかありませんが、今はそのほとんどが失われてしまった森に代わって、琉球王国時代当時の〖国家の聖地〗を現代に伝える象徴たる存在になります。
ちなみに事後説明になりますが、こちらの【園比屋武御嶽】は王国時代は国王の出門の際の安全祈願を行ったり、更には最高女神官〈聞得大君〉就任の際に始めに訪れる〖聖地〗たる場所であったとも伝えられています。
そして記事の最後は前回に引き続き、資料センターから模型による王国時代当時の【園比屋武御嶽】の姿をお届けです。
赤く記したゾーンが当時の【園比屋武御嶽】になります。やはり記録の通り、今はない広域に広がる森が確認できます。そこは聖域として神々を祈り崇める特別な領域だったことはすでに記事にて説明の通りです。(^_^)
ということで本日の記事は、そろそろこの辺りまでとしたいと思います。しかし今回は長らく記事の進行を止めていただけに、先送りにしたらしただけ回収することに苦労することを痛感する一件となりました。(;^ω^)
そして合わせて記事の文面でついに〈聞得大君〉(きこえおおきみ) の名が出てきました。こちら琉球王国時代の政治・宗教的に極めて重要な役割を担った俗称の "お役目" の人物になります。
ただその詳細については今後の同シリーズにてということで、それでは本日の記事 -沖縄のポケストップ8- ~異世界への門~ ここまでとなります。_(._.)_
またこれまでの遅れを取り戻すつもりで、次回の記事もなるべく早めの掲載を予定しています。どうぞご期待下さいませ。_(;^ω^)_
『ポケモンGO』~オシャレは寸前!~
ブログ53日目です
約3週間ぶりの更新になります。_(;^ω^)_
只今、新たな首里城公園周辺のポケストップの記事を目下作成中ですが、その記事の構成が思うようにまとまらずやや行き詰っているのが現状です。(;^ω^)
そのため今回は気分転換と、丁度間近に迫った2月の分も合わせて恒例の「新衣装公開」から再スタートと参りたいと思います。(* ̄0 ̄)/
つまりは「ポケストップ記事は進みずらいけど衣装記事は捗る!」という事で早速2月の新衣装、はいこちらになります。( ^_^)つ
~雪山仕様 トレッキングトレーナースタイル~
今年は暖冬ですが寒さも佳境となる中で大寒に備えた、こちら盤石の新衣装です。 それでは衣装の仕上がりの流れとその説明を簡単に紹介です。(^_^)
まずご覧の通り2月の衣装という事でコンセプトは「防寒着」です。そのためその性能が最も期待できる『オドシシセーター』から色が近いミドルパンツを合わせるところからが始まりとなります。
そしてこのように上下を同じ色で揃えた場合、色合いが淡泊になりがちなので、その他の箇所はなるべくはっきりとした違う色を、という事で鮮やかな赤のニット帽と濃厚な黒のタイツ・シューズから現在の仕様です。
こうして一通りすんなり仕上がった新衣装でしたが、最後の「バッグ」の扱いが実は最も悩む箇所でした。今回のコンセプトでは本来バッグは「バックパッカー」系が相応しいのでしょうが、どうにも衣装との色合いがイマイチであったり、どうしても重たいという印象がぬぐえないわけなのです。
そのためとりあえず現在の通常のバッグで一旦様子見として、今後はシリーズ初の "バッグ無し" も検討しているのが最新状況となります。
それでは少し早い2月の新衣装お披露目と共に 沖縄のポケストップ「首里城公園編」のここに再起も誓い、
本日の記事 シリーズ~オシャレは寸前!~ ここまでとなります。_(._.)_
今回の衣装採点
完成度:8/10点
独創性:8/10点
好み!:8/10点
\(^^) 総合 : 8/10点 (^^)/
『ポケモンGO』-沖縄のポケストップ8-【第3章】~残響~
ブログ52日目です
本日の記事は前回に引き続き -沖縄のポケストップ8- の【第3章】となります。(^_^)
ただ ~オシャレ~シリーズ記事 も間に1つはさみ、前回から少し期間が空いてしまったので一旦地図上にてまずは状況確認から始めたいと思います。
前回の記事の【美連嶽】も加え地図の下の辺りが賑やかになってきました。(^_^)
そして今後は上の方も計画中にてご期待下さいとお伝えつつ、本日の目的地は (C) です。 一気に首里城本殿近くに迫ったその場所にて -沖縄のポケストップ8-【第3章】それではそろそろ開始です。(^O^)/
こちらすでにお伝えしている通り、地図上の (C) の地点です。今シリーズ『首里城公園』のプロローグにて一度通った園路となります。
ちなみにその際には右手側 (弁財天堂) に注目しましたが、今回は左手側、ご注目下さい。(^_^)
本日の対象こちらです。(´・∀・`)
史跡【円覚寺跡】はっきりご確認できると思います。
・・・それでは本日は勿体ぶらずに、一気に行ってみましょう。( ^O^)つ
今回は取材のタイミングを、特に時間帯を見計らい続けた結果なかなかのシーンが撮れたと思います。(^ω^)
日差しと木々と拝殿の色合いの調和が美しく取れているように見えます。
そしてこちらの【円覚寺】も前回の【美連嶽】同様、実はほとんど知らない史跡となりますが散歩で首里城公園に訪れた際にはこちらは必ず横切る通りなのでかなり見慣れた風景と言えます。
ただ今回はせっかくなので更に寄って、より多くのこの【円覚寺】の表情を残したいと思います。
こちらが拝殿となります。(´・∀・` )
個人的には今回のこの対象は「寺院」と言うよりも「お堂」に近い印象です。
それでは夢中で撮り続けたため写真はやや有象無象な並びとなりましたが、とりあえず円覚寺の姿・形は収めましたので、少し早いですが記事の最後はその歴史を探りつつ締めくくりとしたいと思います。(^_^)
ご丁寧にも今回も説明書きがありますので、そちらにて確認です。(^ω^)
こちらによると、この円覚寺は琉球王国時代に王家の菩提寺の役割を果たしており、当時は "鎌倉の円覚寺" をモチーフに建立されたとの事です。
なるほど、【円覚寺】という名は見本に習って名付けられた名前のようです。(^_^)
え~そして、その寺院については詳細は・・・・、
「・・・・・・・・・ ( ^ _ ^ ) 」
「・・・・・・・・・ (・_・ ) 」
・・・・・・寺域3,560㎡・・?
・・・・・大戦でほとんど・・?
「・・・・・・・・・・・・・・・・ (・_・ ) ? 」
・・・・・もしかすると私は大変な思い違いをしていたのかもしれません。(・_・; )
「・・・・・・・・・・ へ( ;・_・)ノ」
「・・・・・・・・、ここが? ここが円覚寺 !? (;゚Д゚) 」
・・・・・お恥ずかしい話ですが実は何度も門の前は通れど門の裏側、ここまで来たのは初めてなのです。(・_・;)
そうです。先ほど一度 "拝殿" とお伝えした場所は実際は「寺院の正門」だったようです。
・・・・ここに来て説明書きの案内から初めて知る事になりました。(・_・;)
・・・確かに「跡」という形式なのでやや違和感はありましたが、私はてっきり園路の目の前の建物が復元された【円覚寺】なのだとこれまで思っていました。(-_-;)
寺域[約3,500㎡]というのはかなり広域となる寺院のはずです。
それだけのものがまさか遥か昔この場所に・・・・・、
「・・・・・・どうして今まで、気付かなかったのか・・・・ (-_-;) 」
という事は、この池と橋も円覚寺のほんの僅かの一部でしか無いのでしょう。
それだけ広大で壮麗な寺院が、かつてはこの場所にあったという事になります。 (・_・;)
正門から反対側の高台より "ふかん" にてとりあえず全体を捉えます。
写真中央に見える門の一部が先ほどまで居た円覚寺の正門で、画面右上の建造物は現在の「沖縄芸術大学」の校舎となります。
当時の円覚寺の広さから考えると、沖縄戦にて焼失した一部の跡地に大学が建設されたようです。
・・・・確かにこの辺り一帯には以前から不自然なほど無造作な原っぱが多いとは感じていました。ただまさかこの一帯、そして現在の大学に敷地に及ぶこの広大な範囲が円覚寺の境内だったとは (・_・;)
・・・・・・今のこの瞬間だけ不思議と時間が止まっているように感じます。(-_- )
状況を整理しつつも不確かなものが溢れる中で、私は一度少し離れた【首里杜館】内にある[情報センター]へ向かいました。へ( ;・_・)ノ
首里城公園内・近辺の様々な史跡、文化財の説明パネルが展示されています。(・o・;)
ありました。(・_・;)
・・・・・ただ書かれている事は【円覚寺】正門前にあった説明書きとほぼ同じ内容のようです。
「これは・・・・・・・・( ;・o・) 」
琉球王国時代の王都を描いた油絵のようです。当時の栄華を写したような眩い描写が極めて印象的な作品です。
そしてこちらは『王都首里町並復元模型』(1:1000)スケール
ようやく手がかりを見つけました。( ;・∀・)
首里城とその周辺の城下町、そして今回探し求めたかつての【円覚寺】の姿の一端をようやくここで捉えました。(´・∀・`; )
赤く記したゾーンが当時の【円覚寺】です。やはり広い境内と複数の建物が確認できます。
そしてこちらはあくまでも当時を再現した模型に過ぎませんが、とりあえず1つの目的地にやっと辿り着いたような感慨です。(^_^;)
そして一通りの資料と情報をたずさえ、私はまた "その場所" へ戻ります。へ( ;・_・)ノ
不思議と様々なものを見て知った前と後とでは、同じ光景も違うシーンのように映ります。本日はたくさんの写真を収めましたが、この1枚が一番のお気に入りです。(^_^)
揺れる木々とその間を抜ける風。
そして隙間から差し込む光に照らされ、まるで当時の瑞々しさを取り戻すようです。
今の私の表現しようのない寂しさも、この風景の前に妙に晴れています。(^_^)
これは「郷愁」というものでしょうか。
きっと当時からこのような光景にて寺院に訪れる多くの人々を温かく迎えていたのでしょう。
そして【円覚寺】については戦争で焼失してしまった事は非常に残念ですが、それは歴史の1つにて仕方の無い事と思います。
また同様に先日の火災にて焼失してしまった首里城本殿とは異なり "未だ復元に至っていない史跡" が数ある事に復元の過酷さと果てしない道のりを知る事になりました。やはり言葉で「復元」と言っても様々な問題が付きまとうものなのでしょう。
そして当の私はというと・・・・・・、また継続して「ご理解を深めるための発信を」と言ったところでしょうか。(^ω^)
では、かなりの量と長さになってしまいましたが、今回の記事 -沖縄のポケストップ8-この辺りまでとしたいと思います。そして数々のご支持の下、何とか最後まで到達できた事合わせてここに感謝お伝えしたいと思います。_(^_^)_
それでは本日の記事 -沖縄のポケストップ8-【第3章】~残響~ ここまでとなります。_(._.)_
『ポケモンGO』~オシャレは俄然!~
ブログ52日目です
読者並びに
ポケモンGOトレーナーの皆さま
明けまして
おめでとうございます。
そして今年もどうぞ
よろしくお願いします。_(^ω^)_
・・・・今年初の記事はもちろん新年の挨拶からの始まりとなりますが、新年早々に悔いが残るのは 多忙により昨年末の締めの挨拶を果たせずに新年を迎えてしまった事です。(-_- )
「あ~、やっちゃった・・・(ノ∀`;) 」
という気持ちの中でこの場にて合わせてご挨拶として、肝心の本日の記事はもちろん月1の恒例シリーズ『新衣装』のお披露目になります。
そしてここでその衣装についての前置きですが、今回の新衣装は新年という事でとにかく「挑戦」がテーマです。 つまりは心機一転です。(^_^)
気持ちも心機一転、姿勢も心機一転、そして身なりも心機一転という事で、
それでは心機一転!2020年1月の新衣装はこちらです。( ^_^)つ
名付けて
-ウィンターカジュアルトレーナースタイルⅡ-
挑戦の先に何とか到達です。(^_^)
そしてすでにお伝えしている通り新衣装は「挑戦」がテーマですが、その挑戦の具体的内容はズバリ・・・・
『パンツスタイルからの脱却!』です。(゚д゚)/
「・・・・・・・・・脱却 (・_・?) 」
え~、もちろんご説明いたします。読者の方々へは今シリーズを毎回ご覧になる事、大変ありがたく感じておりますが、その中で果たしてお気づきになられた方はいたでしょうか。 今シリーズが始まってからの ここまで7つの衣装、すべてがパンツスタイルだったという事を!(; ・`д・´ )
「・・・・この子は実は
男の子なの?(´・∀・` ) 」
最早、このような誤解を生みかねない事態という事で新年に合わせてシリーズ初めてのスカート導入を決断するに至りました。 そしてその結果は・・・・・何とか、何とか収まったと感じるところです。(;^ω^)
そもそも今日まですべてパンツスタイルになってしまった原因は、まともなスカートの衣装が無いからです! 私のコーディネートの引き出しが乏しいからであって、これまで敬遠していた状況の打破として今回の挑戦にたどり着きました。
そして結果的には新しい表現の方向が確かに見えましたのでとりあえずは正しい選択としてとらえようと思います。
それではここで簡単な衣装の説明です。(^_^)
まず現在の季節は1月なので当然冬仕様の仕上がりです。 そして今回の本命のスカートですが、当初はトップスの『デリバードセーター』となかなかマッチするボトムスの1着を見つけ出せませんでした。
・・・こうして行き詰ったところへ "同じ黄色のアクセント" の『ストライプスカート』が偶然にも引っかかる事になります。
これまで「『ストライプスカート』なんて一体どこで使うの・・・」と決めつけていた自分が少し恥ずかしく感じる体験でした。(-_-*)
という事で難関を越えてからは他のパーツは一気に揃い、今回の新衣装の公開となります。(^_^)
それでは経緯の説明も長くなりましたが、本日の記事 2020年1月の~オシャレは俄然!~ このあたりで締めたいと思います。
しかし今回の新衣装は完成まで右往左往ありましたが、こうして改めて眺めてみると随所のハッキリとした強い色づかいがどこか印象に残ります。どことなくオリエンタルな民族衣装の雰囲気の漂う新衣装公開と合わせて、改めて最後にこの場にて今年の挨拶としたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。_(^_^)_
今回の衣装採点
完成度:8/10点
独創性:9/10点
好み!:8/10点
\(^^) 総合 : 8/10点 (^^)/
※過去の同シリーズも再編集にて採点済みです。どうぞご確認下さい。(^_^)
『ポケモンGO』-沖縄のポケストップ8- 【第2章】~祈願の御嶽~
ブログ51日目です
本日の記事は前回に引き続き
-沖縄のポケストップ8- の
シリーズ【第2章】となります。(^_^)
そして早速、
今回の目的のポイントを例により
地図上にて確認したいと思います。
前回の記事【シュリ ノ トウ】も加えつつ
今回の対象もご確認いただければと思います。
そして本日の目的地は
地図上の(B)の地点となり、
引き続き前回の【シュリ ノ トウ】より
更に【守礼門】から遠ざかる
その場所を目指します。へ( ^ω^)ノ
こちら(B)の地点到着です。(^_^)
そして突然ですが
目の前のこの長く続く道は
【綾門大道】(あやじょう うふみち)
という名称です。
この【綾門大道】は
【守礼門】から今回の(B)地点にかつてあった
【中山門】までの約500mの通りを指します。
※現在【中山門】は取り壊され現存しておりません
そしてこの【綾門大道】の通り沿いには
とにかく様々な文化財や史跡が存在するため
今後のシリーズでも随時記事として
取り扱う事が予想されます。
その都度【綾門大道】(あやじょう うふみち)
登場しますので
「以後お見知りおきを」
という話でした。(^ω^)
さて では話を戻しまして
元々【中山門】があった(B)地点にある
本日のお目当ては
こちらとなります。( ^ω^)つ
※【美連嶽】・・・・私もよく知りません (゚∀゚)/
という事で前回の記事にてお伝えした通り
勉強不足な面が多く不明な点ばかりなので
学習もかねて早速、
取材・調査に参りたいと思います。へ( ^ω^)ノ
ご丁寧に説明書きがありますので
まずはそちらにて確認です。(^_^)
そしてこの説明書きによると
琉球王国時代、
この辺り一帯は『王都の玄関口』として
大変美しい眺望を誇り、
そこには神殿があったようです。
そしてその神殿及び、
この辺りを統括するのは記述のとおり
『真壁大阿母志良礼』(まかべのおおあむしられ)
との事です。
正直この名は初めて耳にするわけですが、
調べれば琉球王国時代には
王族に仕え神官として儀式を司る
その頂点にはまず「最高女神官」が存在し
更にその下に仕える
「三大女神官」が置かれました。
そして今のこの辺りの場所は
その「三大女神官」の1人『真壁大阿母志良礼』の
要するに "居住地" だったという事でしょう。
・・・少しだけ話が入り組んできたようです。(^_^;)
そして更にここでは
【御嶽】という事柄の説明も
必要となると思います。
・・・・ただその解説は
説明文章が少し長くなってきておりますので
今回の【美連嶽】の様子を観察しながらの説明、
としたいと思います。(^ω^)
【御嶽】というのは
そして合わせてその場所は
~琉球神話の神が存在し、
あるいはそこへ来訪する~ とあり、
更には
~古くからそこの村落に住む
先祖が祀られる場所~ ともあります。
色々な由来が折り重なっている
この「聖域」ですが、
こうして今から数百年もの昔には
実際に様々な儀式が
この場所にて執り行われていたと考えると
何か想像力を
かき立てられるものがあります。(´・∀・` )
そしてこの場の儀式においての司祭は
すでにご紹介した通り、この一帯を管轄する
「三大女神官」の1人『真壁大あむしられ』
という事でしょう。
・・・・となるはずですが、
実際の所はどうでしょうか。(;^ω^)
まだ手探りな部分がかなり多いので
今は想像の中に留めておく事とします。
ただ初めて訪れた時からの私は注目は
やはりこの大岩の形と存在感です。(´・∀・` )
前回のシリーズ
『末吉公園』の奥地にある拝所 に
近いものを感じます。
一部が草木に覆われながらも
ずっしりと太古の歴史と空気をまとった
その形はまさに奇岩と言うべき
聖域の基岩とも言える存在かもしれません。
ちなみに今回の記事の裏舞台の主役となった
女神官『真壁大あむしられ』はその役目として
儀式にて「国の繁栄」「国王の長寿」「五穀豊穣」
などの祈願も行ったそうです。
この辺りは
~いつの世もどの地でも望むものは同じ~
という事でしょうか。(^_^)
・・・・ついでなので神社では無いですが
私もこの機会に
気分は『真壁大あむしられ』という事で
この場にてちょっと早い来年の祈願を
させていただこうかと思います。(^ω^) /
「・・・・・・・・・ (人 -ω- ) 」
「・・・・・・(人 -ω- )
アドセンス審査通りますよう・・」
「ってコラっ! (-_-;)/\(+_+;)/ 」
という事で
説明・解説が長くなったところもありましたが、
本日の記事はこの辺りまでといたします。(;^ω^)
ただ今回は
1つの聖域【御嶽】を取り上げただけですが、
背景を探ればこれだけの深い歴史が
掘り起こされた事は素直に驚きでした。(´・∀・` )
しかし流石に次回以降は
もう少し簡潔にご案内を目指して、という事で
本日の記事
-沖縄のポケストップ8- 【第2章】~祈願の御嶽~
はここまでとなります。_(._.)_
『ポケモンGO』-沖縄のポケストップ8- 【第1章】~再建の軌跡~
ブログ50日目です
前回記事より開始となりました
-沖縄のポケストップ8- のシリーズですが
本日の記事は
開始となる第1回と、
これからの今シリーズの道すじの説明に
あてたいと思います。(´・∀・` )
そしてまずはシリーズ始まりの恒例として
前回シリーズ[末吉公園編]同様に
〈地域全体 確認用の地図〉にて
ご案内したいと思います。(^O^)
首里城公園周辺には
このテの案内地図が至るところにありますが、
今回の新シリーズを進める上で
実は最適の1枚を見つけるのに
少し苦労しました。(;^ω^)
その中で今回は
地図名にもあるように
使用しようと思います。(^_^)
そしてその地図上には
偶然にもこれまでの記事
ポケストップ ~シーサーシリーズ~にて
すでに取り扱った分を記載しております。
ちなみにその中で
~シーサーシリーズ~ 第2回 で扱った
僅かに地図上から
見切れる位置にあります。(;^ω^)
では地図にて
おおまかな全体図を確認したところで
今回の第1回記事は
地図上の(A)からの開始です。
そしてその場所は
前回のプロローグにてお届けしました
-守礼門- から少し離れた
首里城公園西口付近 となります。
それではお待たせしました、
〖首里城公園編〗第1章
始まり始まり~♪ ( ^ω^)つ
すでに告知の通り
こちら 地図上の(A)の地点となり、
写真の奥の方に -守礼門- が
見えるか見えないか、という位置です。
そしてこの場のお目当てのポイントは
画面すぐ右手側に
建てられたものとなります。(´・∀・` )
芝生の台座の上に建てられた
こちらの[記念碑]がシリーズ第1回目に
相応しいものではないかと考えています。
それではもう少し寄って
詳細の確認に入ります。へ( ^ω^)ノ
日差しで少し大変な事になってますが、(;^ω^)
厳かな石の表面にしっかり刻まれた文字
「甦る首里城之碑」
ご確認できるかと思います。
こちらいわゆる[復元碑]となります。
長きにわたり風雨に晒されたのか
裏面の文字はかすれて
少し読みづらくなっています。
そしてその内容は
そこからの復元の道すじ、
そして最後の
「首里城公園開園」を記念に建立された記念碑
との事です。
つまりは
今は無き首里城を刻んだ記念碑となります。
そしてその姿が無くなった今、
この記念碑だけが忘れ形見として
公園入口の片隅にひっそりと
たたずむのみとなりました・・・・
・・・この背景を知った今、
心なしかその役目を寂しくも果たし切った
ようにすら見えます。(´・ω・`)
・・・やりきれない気持ちの中で
私はこの場を一旦後にします。へ( ゜_ ゜)ノ
高台に位置する首里の見晴らしは
いつもながらに なかなかなものだと感じますが、
その日見た光景はなお美しくも
この張り裂けそうな心持ちは何でしょう。
そもそもの話で
今の首里城の置かれている状況として
再建のみが最善の手段とは
都合良く思えるものでもありません。
物事には様々な事情や
時には優先度も存在するでしょう。
この雲間から差し込む一点の光明のように
最良の道があるのでしょうか。
「・・・・・・・、
・・・・今の私に答えはありません。(-_- ) 」
ただ導き出せない答えの中で
何かすべき事を探し求めて行くつもりです。
今回の取材にて
-シュリ ノ トウ- の記念碑の意味や詳細、
そしてその【存在の理由】を一端ですが、
確認する事ができました。
もちろん 私にとっては
取材前には一切知識の無い
ただの建てられた "モノ" でしか
ありませんでした。
この先も公園周辺の取材や調査を重ね
その結果を記事として発信し、
広く知らせると共に理解を深める事が
今必要な事ではないでしょうか。
そしてそれが今の私の
微弱ながらも唯一の務めなのではないか
というのが今、心に描くイメージです。
・・・・まあつまりは
生まれ育った地について
勉強不足な人間に今後もお付き合い下さい、
という話となります。(^_^)
--------------------------------------------------
それでは 長い文章も所々続きましたが
本日の記事 -沖縄のポケストップ8- は
この辺りで締めくくりたいと思います。
なおシリーズはこの先も
長く続く事が予想されますが、
何卒あたたかい目で見守って頂けると
大変ありがたく思います。_(^ω^)_
それでは
-沖縄のポケストップ8-【第1章】~再建の軌跡~ は
一旦ここまでとなります。_(._.)_